ものくろ日記

テーマはないよ。書きたいことだけ。

英語、あるいはその他の外国語を学ぶ意味について

 

問題意識

近年、というかいつの時代もなのかもしれないが、「わざわざ外国語を学ぶ必要ないんじゃない?どうせ使う機会ないし」とか、「近い将来、自動翻訳技術が向上すれば、外国語を学ぶ必要はなくなる」というような言説が飛び交っている。これらはどの程度妥当な主張だろうか。今回は、外国語を学ぶ意味について考えてみたい。

私の語学力

私の母語は日本語で、その他言語だと英語を話すことができるぐらいである。英語はとてもネイティブレベルというわけではないが、基本的なコミュニケーション、ビジネスでの活用(電話・メール・ミーティングを英語で行う等)はなんとかなるというレベルである。数値化された指標で言うと、TOEIC930点を取得している。その他にもフランス語やロシア語について参考書を用いて勉強してみたり、よりマイナー言語(話者人口が少ないという意味で便宜的にこの表現を用いる)についてもかじったことはあるが、いずれもコミュニケーションに活用できるレベルには至っていない。

私の立場

上記のように、特段言語面で他者と比べて優れている部分があるわけではないが、外国語習得は不要なのでは?という言説に触れる機会が多く、その主張に違和感を持っている。「外国語学習は不要か」という問いがあるとして、私の立場は「否」、つまり「外国語学習は必要であり続ける」である。もう少し細かく主張を展開する。

みんなにとって必要、ではない

まず、外国語学習がすべての人にとって必要か、という点については、そのようなことはないと思う。日常の中でまったく外国語話者と接することがないという人も多くいるだろうし、日本人のみを顧客として商売している場合などには、英語をはじめとする外国語を習得する必要性は強く感じないだろう。多くの人は、身にしみて英語の必要性を感じることなく一生を終えるはずで、それ自体には何も問題はない。むしろ、母語のみを用いて高等教育までを修了できるというのは大変に貴重なことである。欧米で発展した諸科学の概念は、当然欧米の言語で語られており、日本語はそれらを自身のうちに取り込んできた。そのような過程を経ることができなかった言語を母語とする人たちは、高等教育の課程を丸々英語やフランス語で修了しなければならず、これには大変な労力を伴う。さらに、やはり母語と比べて第二言語を使用している時の理解力は低下すると考えられているため、いたずらに授業を英語にするというようなことをせず、母語での教育環境を充実させるというのは、大切なことである。

外国語話者とのコミュニケーションでは、やはり学ぶに越したことはない

では、どのような場合には外国語を学ぶ必要があるのだろうか。私の個人的意見であるが、「日本語以外の言語を用いたコミュニケーションを必要とする場合には、コミュニケーションに用いる言語についてある程度の知識を身につけておくべき」と考えている。

いや、それは当たり前でしょ、、と思った方も多いだろう。その感覚は大切であるし、そう思った方はぜひ、その思いを維持して学習をしていっていただければと思う。

一方で、現に今、外国語を使用するしてコミュニケーションする必要に迫られつつも、なかなか学びを進められていない人もいるのではないかと思う。実際に目にしてきたものだと、例えば「業務上、英語を使うのは主にメールのみなので、翻訳ソフトを活用して英語をメールを作成している。返信内容も、翻訳ソフト経由で日本語化して読解している」というようなケースがある。他にも、接客等でも限られたテンプレ文句のみを用いている等のケースもあるだろう。

「とりあえずこれで伝わっている(伝わっていそう)」という感じで外国語を使っている人は一定程度いるだろう。わからない表現があれば翻訳ソフトを用いたり、スポット的に単語を検索してやり過ごしている人である。このように外国語でなんとかコミュニケーションを取ろうとする姿勢自体は素晴らしい。ただし、やはり少しでも外国語を使うことがあるのであれば、ある程度その言語について理解をしておかなければ、よくわからないやりとりになってしまうことはままあるのではないだろうか。

翻訳ソフトのみに頼ると、どうなる?

ここでは、英語を使う機会はあるものの、自身で積極的には学習せず、主に翻訳ソフトを用いて乗り切ろうとした場合にどのようなことが起こるかについて考えたい。

日本語のビジネスメールには、よく以下のような文言が書かれていることがある。

お忙しいところ恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。

ビジネスメールでは、このように相手に配慮するような文言を記載することがしばしば推奨される(その是非については今回議論しない)。では、外国語話者にメールを送る際、この部分はどのように処理されるべきか。

多くの人が使用しているであろう無料の翻訳ツールであるGoogle翻訳、DeepLを用いて考えてみよう。

まず、Google翻訳では、以下のように翻訳される。

I apologize for the inconvenience, but thank you for your cooperation. 

translate.google.co.jp

かたや、DeepLでは以下の通りである。

Thank you very much for your time.

www.deepl.com

どうだろうか。そもそも両者で翻訳結果がかなり違っていることに気づくだろう。Google翻訳は比較的原文に忠実に訳しているように思うが、DeepLは相当に意訳。私も日常的にDeepLにはお世話になっているが、行間を読んで訳してくれてるなぁと感じることがしばしばある。ただしその分、「そういう意味で使ったんじゃないんだけどなぁ」ということもある。今回はどうだろう。"Thank you very much for your time."は、相手に何かしら時間をかけさせるお願いをしていることが前提になっているようなニュアンスを受ける。しかし、原文の日本語は、相当に幅広い用途で使用され、必ずしも時間を使わせる作業を伴うお願いには限定されないだろう。例えば、このメールの内容確認して了解しておいてね、ぐらいの時にも使われ得る。その時、"Thank you very much for your time."と書かれていたら、受けては「何かお願いされていたっけ?」と思うかもしれない。

一方で前者のGoogle翻訳において、"I apologize for the inconvenience"とあるが、これは「ご不便をおかけし申し訳ございません」というようなぐらいの意味で、確かに元の日本語にそのようなニュアンスがあるとも言えるが、実際の使用シーンでそこまでの意味を持たせていない、ということの方が多いのではないか。

このように、実際のコミュニケーションの中での表現が持っている意味の射程は言語ごとに異なり、またシーンによっても変化することがあるため、ある部分を翻訳ソフトを使って翻訳しても、意味が通じにくくなってしまうということが起こる。

少し勉強すると、見える世界が変わるかも

上記のようなことが起こった時、いらぬ誤解や余計なやりとりが発生してしまう可能性があり、「だから英語はよくわからない・・」とか、もっと行ってしまうと「だから〇〇人は・・」というような偏見が生じてしまうかもしれない。このような罠は無数に存在しているため、やはり少しでも外国語を使う機会がある人は、その言語について少しずつでも学んでいくのが良いのではないだろうか。その過程で、上記のいずれの表現を使うことがこのシーンでは適切か、ないしはそもそもこのようなことを表現する必要があるのか(メール文面を初め、ビジネス上のやりとりでどのようなコミュニケーションが求められるかは文化によって相当に違いがある)ということがわかってきて、よりスムーズなコミュニケーションが実現できるようになるだろう。視野が広がって、見える世界が変わり、その言語や話者に対する興味、理解が深まっていけば、日々の生活がもっと楽しくなっていくのでは、と思っている。